イジメられていた頃は、教室にいるだけで苦しかった。
卑猥な張り紙が背中に貼られ靴はボロボロ、机には菊の花。
しかし一番しんどかったのは、実害が来ている時ではない。
それは、誰かに見られている時。
「あの人は何を考えているかわからない」という不安が怖かったのだ。
何を考えているかわからないから、究極殺されるかも知れない。
そう。「何を考えているかわからない」というのは「殺されるかも知れない」という不安なのだ。
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教職員によるイジメ問題。
本当はイジメという言葉すら使いたくない。
全て犯罪だから。逮捕されるべき案件ばかりだから。
それが叶わない時、「やった事と同じ事をされればいい」というのは、少し違う。
少なくとも俺は被告人(この際こう呼ぶ)の顔にカレーをかけたいとは思わない。
伊集院光さんの名言を拝借するが、賞味期限切れのおにぎりを踏みつける事はできない。
例え道端に落ちた泥だらけのおにぎりでさえ、踏む事はできない。
そんな心境の人間として、人の顔にカレーをかけるのは、それ自体が罰ゲームである。
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今後もイジメ(=犯罪)に加担した教職員が逮捕されないのであれば、実名報道を求める。
別に住所を特定して嫌がらせをしに行きたいとか、そういう事じゃない。
実害という罰でなくとも、「見られる」というだけで十分に苦しいから。
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