一般的に「そこそこ知ってるね」と言われる程度にはサッカー観戦が好きな中で気づいたのは、「伝説的な選手」と呼ばれるためには運命的な要素も求められるということ。
選手自身にどれだけ才能があっても、監督の嗜好や戦術のトレンドといった「時代の流れ」にそっぽを向かれ、そもそも試合に出られなくなるなんていう「自分ではどうしようもないこと」が常につきまとうから。
それで言うと真っ先に思い出すのはロベルトバッジョ。
十分レジェンドだけど、それでも色々な「たられば」が浮かんでしまう。
監督の嗜好や戦術のトレンドが違えば、、
もし別のリーグでプレーしてたなら、、
周りが自分の為に動くっていうチームなら、、
「もっと偉大な選手として讃えられたのではないか。」
そう思わざるをえない。
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誤解を恐れずに言うと、元JUDY AND MARYのベーシストの恩田快人(以下・恩ちゃん)にも似た想いがある。
http://www.dedicationrecords.jp/onda/profile.html
ファーストアルバムのクレジットを見ると、作曲担当者の所は恩ちゃんの名前が並ぶ。
その当時のジュディマリはどちらかというとパンクでストレート。なんというか初期衝動に溢れてた。
テレビも恩ちゃんをズームアップする事が多く、「このバンドの中心はこの人なんだな」と容易に想像できた。
これがセカンド・サードアルバムと続くにつれて、徐々に作曲担当クレジットから恩ちゃんの名前が少なくなっていく。
TAKUYAの名前が増えていくからだ。
確かに「オレンジサンシャイン」から明らかにポップさが増して、心なしかサウンドも煌びやかになった。
そうして日本を代表するバンドへと成長していく中で、YUKIとTAKUYAの「2トップ」にばかりスポットライトが当たるようになり、恩ちゃんはいつしか2トップを支える裏方みたいな映り方をしだすようになった。
恩ちゃんとTAKUYA。
ロベルトバッジョにおけるデルピエロみたいなものだ。
どちらが良いとかいう話じゃない。
「恩ちゃんがもし変わらず主役のバンドなら、現状ほど売れなかったかもしれない」
っていう意見があるとすれば、それはすなわち、
「恩ちゃんが変わらず主役なら、今より更に伝説的なバンドだったかもしれない」というのも同じ確率なのだ。
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恩ちゃんのベースプレイは、ロックかつファンキー。ほとんどピック弾きか指弾き。
何より、リズム感にビビる。
聴いてて自然と身体が動くのはプレイにノリがあるからで、その理由がベースにあるということをまざまざと見せつけられる。
そしてその極太ベース音。
キーボードが装飾的に加えられたサウンドとはいえ、上モノがギター1本いうバンドであのパワフルなサウンドが構築されているのは、恩ちゃんの極太ベースがあるから。
フレーズ自体にトリッキーさは少なく、歌に自然と溶け込むフレーズも、よくよく聞くと粋さが伝わるフレーズもサラっと弾いている。
そしてストラップは長く、リズムは腰で取っている。
初心者の頃はよく恩ちゃんの真似をして、気づけば「ストラップは長いもの」というのが当たり前になってしまって今に至る。
リズムを頭で取ってるようにも見受けられるけど、実際やってみるとリズムの軸は腰にあって、身体の中心でリズムを作って身体の末端(つまり手足)にリズムの波紋を広げる、その結果として安定したリズムが得られる。
Aメロがファンキーな「くじら12号」も、スピード感溢れる「BLUE TEARS」も、そしてしっとりした「小さな頃から」も、どんなタイプの楽曲でも説得力のあるリズムを構築できるのは、軸となるリズムが安定しているからだ。
ベース。つまり基盤。
そんな事を考える。
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東京ドームでのライブで「トーキョー!」と叫ぶ恩ちゃんがたまらなくカッコよかった。
もしかしたらメジャーレーベルならではのしがらみがあったのかもしれないし、それこそリスナー(つまり時代)がどんな楽曲を求めているかなんて水物でしかない。
でもそんな事は二の次で、きっと「バンドでベーシストを担当する」という事の意味を誰よりもわかってて、「自分ではどうしようも出来ないこと」に囲まれながらも、それでも「バンドのベーシスト」として正しくあろうとしてたんだと思う。
「もっと伝説的なベーシストになれたんじゃないか」
そう勝手に思ってるのは実は筆者だけで、ご本人は意外と幸せな道を歩いているのかもしれない。
引退後に涼やかに笑ったロベルトバッジョのように。
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