「たくさんベース練習してライブも上手く演奏できたけど誰も気づいてくれない」
ある種これは仕方がありません。
ベースという楽器は、他のパートを目立たせる必要があるからです。
言い換えれば、目立たない事がベースの仕事とも言えます。
わかりやすいのは映画で、ベースは言わばカメラです。
例えば主人公(ボーカル)が重要なキーワード(歌詞)を喋るシーンではカメラはジッとしてなきゃいけないわけで、
作品としてはここで観客に「ここで伏線が回収されるのか!」みたいな印象を与えたいはずです。
なので「カメラ一切ブレなくてすごいなぁ」とは思わないはずです。
そりゃ確かにカメラは設置台を使ってるかも知れない。ベースでいうコンプみたいなことですね。
けれど、それだけじゃないというか。
やはり、「わかりにくい所で気が利いた事をする」という所に良さがあると思います。
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ヒッチコックに「ロープ」というサスペンスがあります。
ロープを凶器とした殺人事件が物語の主軸なんだけど、この映画が凄いのは、探偵を見下したい犯人と探偵の「会話のみで」物語が進むこと、殺人事件が起こって犯人が捕まるまでの時間と上映時間が同じである事、
そしてロープという単語自体に「だしぬく」「言いくるめる」という意味があること。
そういう所が「ロープ」の魅力なので、撮影労力がどうとかは意識しないんです。
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一方で、音楽経験者でない、いわゆる一般リスナーの方から見ても「このベースすげーぞ!」って言われるベーシストやベースラインもあります。
思うにそれは曲作りの時点で「ベースが目立つように曲を作ろう」という着想が先にあります。
「カメラワークやCGの凄さが伝わる映画を作ろう」みたいな。
ギターの音は小さめにして、(相対的に)ベースが聞こえやすい曲を作ってみようとか。
歪ませたベース音だけが鳴るイントロにしてみようとか。
そうでない限りは「パッと見ではわからないけど気が利いたこと」をするのが基本だと思います。
それで言うと例えばロビンウイリアムズ主演映画の「今を生きる」。
自主的に生きる大切さを説く先生に感銘を受け、俳優を志した「ニール」という生徒が父の猛反発を受け、悲しみにくれて拳銃自殺します。
このシーン、カメラは、自殺するために階段を降りていくニールの後ろ姿を撮影している。
そして「一緒に階段を降りている」。
ゾッとしたんです。
この時、「ニールを追い詰めているのはカメラなんだ」と。
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