「得意を伸ばす趣味」として習字を、「苦手を克服する趣味」としてベース演奏をしている生徒さんがいます。
字が綺麗な人は、音楽も得意になれる土壌を持っています。
習字を通じ、一手先を考えながら手を動かす習慣が身についているからです。
例えば「希」という漢字を綺麗に書こうとすると、「メ」を書いている時点で「布というパーツをどの位置にどんな大きさで書くか」を考える必要があります。
これが「一手先を考えながら手を動かす」です。
さらに言うと、布パーツにおける「一」をどの位置に置くか、どんな長さにするかで「希」全体の完成度は決まります。
少なくとも、とりあえず「希」を書いてみて「たまたま上手く行ったかどうか」という運試しはしません。
あくまで「こう出来ればいいな」という(できれば具体的な)理想像が頭の中にあって、その理想像に向かって手順通りに進めるかどうかを考えるわけです。
だとすれば、「上手くできるかどうか」の前に「暗記できているかどうか」が前提にあります。
暗記していないものに対して理想像は立てられないからです。
ベースラインを上手く弾けるかどうかも、まず暗記が前提です。
その上で「ここで強めに弾こう」とか「音を歯切れ良く止めよう」とか、そういう作戦が立てられるわけです。
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さらに言うと、硬筆よりも習字。
鉛筆よりも、筆です。
筆圧によって太さが変わるからです。
楽曲の演奏中、そのベースラインの筆圧が一定に聞こえるのはコンプという機材を使っているからで、実際のところ筆圧は常に変動しています。
ビートロック系でも縦割りアクセントでなくポリリズムアクセントにした方がノリが出る事があって、
「トメやハライは太く、途中は細く」みたいなことです。
その「途中途中でどう辿るか」。
字が綺麗な人はここに慣れてて、ゆえに音楽センスもあります。
ちなみに「希」、自分なりに理想像を考え、「こういうバランスで、こういう筆圧で辿れば綺麗なんじゃないか」という仮説を用意して書いてみました。
「次はこうしてみよう」と思うまでの、仮説と検証の繰り返しは、字も演奏も同じな気がします。
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