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執筆者の写真Bun(ブン)

失敗した人をフォローする事が、必ずしも救いになるとは限らない。




例えば「失敗=恥」みたいな環境で育った場合に引き起こる弊害だと思うんだけど、それを誰かがフォローしてくれた場合、感情として先に出てくるのはその方への感謝よりも自分への後悔だったりします。


だから例えばセッション演奏とかでも、フォローしてくれた方がどれだけ「いいんだよ」と言ってくれても「自分はなんてダメなんだ」と、そう思ってしまうと楽しめなくなっちゃう。


フォローのやり方にもよるけれど、受け取りかた次第では「足を引っ張ってるのは貴方だよ」みたいな事になる。


「いやいや自分は素人なんだから間違えて当然だろ」と、素直にそう思えたらいいんですけどね。


多分そう思える人は、引き続きトライできる。


でも、みんながみんなそうじゃない。


もしかしたら仲間が増えるかも知れないのに、失敗に対して過剰に責任感を抱いてしまい、「そうなるくらいならやめとこう」と、それが寂しいというか。


個人的には、フォローよりも失敗の共有かなと思っています。


だから場合によっては演奏を失敗する事が例えば「歌の音程が合わないのはベースのせいだ」に出来る。


すると「これだけバリバリにやってる人すら間違えるんだな」と。


さすれば「素人の自分は間違えて当然だな」と、失敗に対する過剰な責任感や自己嫌悪を回避させてあげられるんじゃないかと。


だから僕がリードする側の立場な時に意識してるのは、完璧なお膳立てやフォローよりも、失敗して「ゴメン俺が間違えた」と率先して謝る事なんだと思ってます。

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