そもそも日本語というのは「高コンテクスト」といって「ここはわざわざ言わなくてもわかるでしょ?」という部分を割愛してもいい言語。
それで言うと例えば川端康成の「雪国」の書き出し、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」っていう導入はすげーなと。
ここだけ読んだ時、
「電車?車?それとも徒歩?」
「そもそもあなた男?女?」
ってなる可能性があるから。
で、一度そういうのが気になったらフリーズしてしまう。
雪国だとその後に「信号所に汽車が止まった」っていう文章が出てくるので「君は汽車に乗ってたのね」と解決するけれど、日常的な会話で似たような事に遭遇するとこちらは「行き止まり」にいる状態なので「置き去り」にされる事も多々ある。
だから逆に自分が喋る立場や書く立場になった時、出来るだけ「置き去りになる人」を無くそうという想いが強くなる。
結果、「それわざわざ言わなくてもいいよ」とウザがられる事もある。
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実は「わかりやすい説明」を心がける時、それは相手に対してだけでなく「それを言われて自分はスンナリ理解できるのか?」という自問自答が並行している。
「相手のため」といいながら、実は「自分のため」でもあったりする。
それで前置きが長くなる。
備考欄や例外の補足が長くなる。
そうならないように気をつけてはいるけれど。
ツイッターで回ってきたこの画像を見て「俺ことごとく当てはまるじゃん」と思った話。
https://twitter.com/aspergirl_114/status/1139812715558395905?s=21
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